マージャン競技を考える 第4回 ルールはなぜ変わるのか

 土田さんから、競技では裏ドラを開示してプレイしましょうとの提案が行われました。

 筆者は頭の隅にも浮かんだことはなく、一瞬たいへん驚いたのですが、よく考えるとリーチ者のアガリ点が決まっていない問題がかなり緩和されるはずという結論になります。

 土田さんに、カンドラありのルールの場合、リーチ後の新ドラはリーチ者には無効でいいよねと聞くと、「それは少し待って」との返事でした。

 もし無効になれば、リーチ者のアガリ点は確定します。

と、ここまで考えて、そもそも誰かがカンしたらどうしてドラをめくらねばならんのか、という本質的な問題に立ち返ります。

 ルールの変化はなぜ起こる?

 そこで今回はなぜルールというものは変遷するのか、実例をあげて検証してみたいと思います。

 筆者が麻雀を始めて間もない1976年、通っていた高校の近くの麻雀店に、全国麻雀段位審査会の定めたルールのバラ打ちがありました。

※バラ打ちというのは、一人で行っても参加できるのですが、現在の「フリー麻雀」のように誰にでも門戸が開かれているのではなく、一応紹介等、何らかのコネが必要でした。

 その当時の段審ルールは、フリテン片アガリが可能だったのです!

どうなるのか、例えば、この手

一萬一萬一萬二萬三萬七萬八萬九萬七筒八筒九筒七索八索

六索なら出アガリ1000点、九索でアガればハネ満です。

 

ツモ六索

400・700で万事休すか。ではなく六索をシレッとツモ切り、自分の手番を経たのち九索にロンをかけることができたのです。

 

一萬一萬一萬二萬三萬七萬八萬九萬六筒七筒八筒七索八索

 また、ここに九索ツモなら打六筒、次巡以降六筒以外の牌であればリーチをかけることもできました。(なぜ六筒を曲げられないのだ!)

 

 こんなルール恐ろしくないですか?

そうです。相手の手役志向が読めてないと大けがをするルールだったのです。

 

 競技してますね!

 

 そもそも、麻雀にはフリテンという概念はなく(だから中国では河にバラバラに捨てて、誰が何を捨てたかはわからない)、フリテンありにするんだったら、せめて半分だけにしてよという競技者の切ない気持ちが伺えます。

 さて、筆者は高校の友人とも麻雀を打っていましたが、当然「フリテン片アガリあり」などというルールではありません。世間ではとっくに駆逐されていた(または最初から存在しなかった)のでした。

 あなたは競技心(ごころ)お持ちですか?

 そこで、結論。

 ルールは世間の娯楽・遊戯を求める心が決める!

 

 さらにいうと、(賭け麻雀の場合)

 ルールは人間の射幸心が決める!!

 

 例えば、場ゾロという言葉をご存知ですね。

 「メン・タン・ピン・ドラ1・バンバン」というときの、「バンバン」の2役(ファン)分が場ゾロで、アガリ点を4倍にインフレ化させています。

 もともとはサイコロのゾロ目が出たときだけのプレミア計算だったのですが、6分の1の珍しいことが起こったらすぐにインフレ化。隙あらばインフレーション。

 

 恐るべし射幸心!

 

 カンもそう起こることではありません。

「珍しいからドラはめくる」ときっと誰かが言いました。

 

 河豚の刺身を人類史上はじめて食した先駆者がいるように、はじめてカンドラをめくった打ち手がいるのです。

 これらは競技団体の関係者が相談して決めたことではなく、巷で突発的に起こったことだと筆者は思うのですがいかがでしょう。

 

 そこで法則を二つ追加します。

 

一、人間関係の上位者がルールを決める

あなたは社長の主張に逆らえますか?

 

二、お大尽(お金持ちでよく負ける人)がルールを決める

そのお大尽のお蔭で賭場全体が潤っている場合、多少のことは認めますよね。

 

 裏ドラ開示ルールは果たして面白いのか? 

それが問題ですが、できるだけ早く対局を実現し、「宇宙Tv」でも公開したいと準備しています。