「麻雀新撰組」立ち上げに関する発案者・アサ哲に対する三つめの疑問は、「この三人だけでいいんじゃないのか」発言。これはエッセイなどにも度々出てくるが、「小説 阿佐田哲也」ではこうなっている。
『しかし奴は、この三人以外にメンバーを増やす気は、積極的にはなかった。強い選手ならばこの他にいくらでも知っている。面白い選手も居る。しかし、この三人が、コントラストとしてお互いをひきたたせる。』
「奴」とはむろんアサ哲のことで、「この三人」とはアサ哲と小島武夫氏と私・古川凱章。
普通、競技会などを創ろうという人は、参加もしくは登録者をどれだけ増やせるかを考える。ところが、アサ哲にその意向はまったく感じられない。なぜなのか。そして、「コントラスト」とはなんのためのものなのか。
アサ哲の関心はむしろこっちの方にあるようだが、それはどこから出ているのだろうか。
疑問というものは、何かが明らかにされないときに出てくるが、麻雀新撰組のばあいは、創案者がアサ哲、これはヒジョーにはっきりしている。
ところが、なぜそのようなものを思いついたかのもともとの動機、狙いといったものは全く語られていないしどこにも書かれていない。それがどのようなものであれ、それがなければ新撰組は誕生しなかったわけだから、アサ哲の想いの中に存在していたことは間違いない。
ならばなにゆえ、アサ哲はそのあたりのことを開陳しなかったのだろうか。
アサ哲の存在を「麻雀放浪記」で知った多くの人たちは、そのあとに刊行された「小説 麻雀新撰組」(双葉社)などを読み、アサ哲って作家は酔狂な人やなァ、と思ったかもしれない。
私も当初は色川武大氏の“現実”というものを知らなかったので、ほかの多くの人たちとおなじように、軽く受け止めていた。
新撰組の顔ぶれを三人だけでよしとするなら、このあとに出てくる連想は、誰かしらを替わるがわる呼びこんで、“新撰組興行”みたいなものをやらかすのではないか、といったもの。
たしかにそんな企画がなかったわけではない。ゲストは「日本麻雀道連盟」の会長・村石利夫氏。対局の舞台は週刊「プレイ・ボーイ」誌だったが、新撰組の三人が顔をそろえた誌上対局はこの1回のみ。
またしても「わからないことだらけ」のタネだけが、ひとつふたつ増えてしまった。
アサ哲が「三人だけでいいんじゃないか」と言った真意はどこから出てきたものなのか。アサ哲のそもそもの狙いが明らかにされない限り、これは永遠の謎になってしまうが、アサ哲はもはや泉下の人。