麻雀を楽しむうえで、親が連荘できるルールは無くてはならないものと考える打ち手は多いようです。
その連荘ルールにも2通りあって
A:親のアガリ、もしくは流局時に親がテンパイしていれば連荘できる
B:親がアガったときだけ連荘できる
Aは「テンパイ連荘」、Bは「アガリ連荘」などと俗称されています。
打ち手によって、A・Bの好みは分かれるところではありますが、簡単な話、Aでは親の強引な手法が横行することになります。
たとえば、次の手牌
ツモ ドラ
東場の親で7巡目にテンパイしました。
場にはが顔を見せていません。
Aのルール下で競技されている場合には、けっこうな割合で即リーチに踏み込む打ち手がいるようです。
①親リーチには子方が抵抗しにくい
②テンパイとらず策が失敗することもある
③ツモって裏ドラが乗れば親満になる
④リーチ一発でアガれることもある
⑤たとえアガれなくても流局すれば連荘できる
ペン待ちがアガり易いとは思わないまでも、Aのルール下では⑤の保険がかかっているため、即リーチがかけ易いようなのです。
ではBのルール下ではどういう判断になるかと言えば、即リーチせずにペンチャンを外し、テンパイとらずに構える打ち手が多数派を占めると思われます。
①待ちがアガりにくい
②ピンズが4連形なので変化が期待できる
③ピンフになればヤミテンも選択できる
④345や456三色も視野に入れられる
⑤流局すると連荘できない
Bのルール下では、⑤が親リーチすべきかどうかの別れ道になることが多いため、リーチをかけなくてもアガれる手筋を選択する打ち手が増えていきます。
いわゆる力勝負のリーチが激減し、子方にとっての脅威は、Aのルール下とは比較にならないほど軽減されるため、競技志向の強い打ち手には支持されやすいルールとなっています。
<連荘>無しの数々のメリット
ここまでは、現行の連荘有りルールについての説明をしてきましたが、私が麻雀競技を考えるとき、いつも喉元に引っかかるのがこの<連荘>です。
なぜ<連荘>というルールにして、ゲーム開始時に定まっていない局数の競技に入るのか? 理解に苦しみます。
親で<連荘>する技術を競う競技ではないのか? と考える人もいるでしょうが、素朴な疑問として、競技者全員が同じ条件下でゲームを行ったほうがよいのではないかと思ってしまうのは私だけでしょうか。
<連荘>無しルールの利点を挙げておきますと
①全競技者が同じ局数で競い合える
②競技時間に差がつきにくい
③アガリへの精度がアップする
④アガリそのものの質もアップする
⑤無駄な仕掛けが減る
⑥親番への過大評価が激減する
⑦放送枠をはみ出さずに競技可能となる
たとえば先に挙げた手牌
ツモ ドラ
7巡目の親のテンパイですが、場況の良さや運気の追い風がない限り<連荘>無しルール下では即リーチせず、のペンチャンを払うことになるはずです。
このとき、→と外さずに→と外す打ち手が増えるはずです。
なぜなら、次巡~10巡目あたりまでにが引けた場合、との雀頭交換が可能となり、打点力がアップする可能性があるからです。
更には、ペンチャン外しの後、が引けてピンフのテンパイになっても即リーチしない打ち手が増えるでしょう。
ドラ
その理由として
①ツモで456三色になる
②ツモで3メン待ちになる
③ツモ→ツモで345三色含みになる(ヤミテン、リーチ問わず見逃しもあり)
つまり、打点アップを図るためのヤミテンで<連荘>無しルール下では、いかにしてマンガン以上の手を仕留められるかが重要な攻撃ファクターになるからです。
1局1局が濃密な戦いになり、かつ現行より数段時間短縮のゲームが可能になるという、競技として理想に近づけるはずです。
最後に<連荘>無しルール下の仕掛けについて触れておきます。
ドラ
5巡目の手牌です。
親・子にかかわらず、このをポンしていけばいいものか、打ち手の技量と度量が試されるところです。
<連荘>無しルール下では、半荘であれば8局しかありません。
その8局のうちの1局を、2900もしくは2000点でまとまりそうなこの手牌、果たして速攻をかけてよいものか?
恐らく2枚目のも鳴かない競技者が増えるのではないでしょうか。
をポンせずにピンフ手筋に切り替えていくと
ツモ八 打
ツモ三 打
ドラ
こうなるので、や引きでハネ満ツモの未来も見えてきます。
もちろん、
ツモ 打中
ツモ 打中
ドラ
このテンパイでの即リーチも十分想定でき、をポンしていくよりも打点的魅力は増すという寸法です。
いかがですか?
<連荘>無しルールで打ってみたくなったのではないでしょうか。