まずは“自立”が問題

古川凱章の「麻雀新撰組にかけた男たち」

小島氏と私が新撰組に参加したあとのことを、アサ哲は「小説 阿佐田哲也」の中で次のように書いている。
『彼等二人の自立を確保するためもあり、奴は、何種類かの週刊誌に実戦記乃至は読物欄を貰った。好むと好まざるとにかかわらず、奴もあたふたしてくる。』

小島氏は日本麻雀連盟が本部道場としていた雀荘「あいうえお」で働いていたが、プレイヤーとしてテレビに出たり、「負けない麻雀」を出版するなどして、フリーの身になっていた。

一方私の方は職を離れたばかりのあぶれ者。自立から見ればゼロ地点にいたようなものだが、その点に関してアサ哲は何も言わなかった。

しかし、アサ哲としては経済面では自立している人間を想定していたのではなかろうか。

きっかけがどのようなものであったかは失念したが、ある日、誌上対局の牌譜整理をやってくれないか、とアサ哲に言われた。

誌上対局の取材は、対局者4人に4人の記録子がつく。半チャン1回の戦局数が10であれば、記録紙の数は10×4の40枚となり、これを見ながらの原稿書きはかなり煩雑な作業となる。

したがって1局4人の闘牌を1枚の用紙にまとめてみることになったが、私にはその記憶があった。日本麻雀連盟の機関紙「麻雀タイムス」にそれが載っていたが、使われていたのはむろん牌活字。

取材現場では素早く記録することが求められるので記号を使うが、ワンズは漢数字、ソーズは算用数字、そしてピンズは算用数字を丸囲みしたもの。字牌の方は字画の多い🀀はT、🀁はN、そして🀅はRなどとし、このほかにはイーシャンテンやテンパイなどの記号もある。

各記録子が記録用紙に書き込んでいるのはまず配牌。その下にツモと打牌を拾う欄があり、さらにその下には最終形の欄がある。

記録整理とは裏方のまとめ役みたいなもので、取材現場に出向く必要はなかったが、なぜかアサ哲は私にそっちの方にも出てこないかと誘った。

最初のころは対局をただ眺めているだけの私だったが、眺めているうちに気づくことがあった。手の動かない記録子がいたりしたのだ。どういうことかというと、目の前のゲームに気を取られ、書き忘れをしているのだ。

記録子のミスはこの記入モレ以外にもいろいろあって、最終チェックではマージャン牌を使うが、この時に4枚しかないはずの牌に幻の5枚目が出てきたりする。

このほかにも整理の段階ではすり逃げてしまうミスもある。たとえば記号の表記間違い。

これらのミスをほぼ完璧に近い形で修復するにはどうしたらいいか。取材現場に立ち合える私としては、この点を活かすべく、5人目の記録子になることにした。

名づけて「捨て牌拾い」。対局者4人の捨て牌だけを書き取る仕事だが、こればかりはほかの記録子のように座ってはいられない。取材がすむまで立ちっ放しとなるが、当時、私は30を少し超えたばかりの若さだったので、そのようなことはまったく苦にはならなかった。

アサ哲が観戦記を担当していたのは「週刊・ポスト」だが、このような企画は他社でも始まり、編集サイドとのコネクトも広がった。

アサ哲はそのコネクトをさらに親密なものにすべく、彼らの何人かを“隠れ隊員”と呼んでいた。