のたくり道中
鳥取の次は列車に乗り城崎(きのさき)で降りた。温泉で有名な街だが、アサ哲の頭の中にはむしろ志賀直哉氏の小品「城崎にて」があったかもし...
鳥取の次は列車に乗り城崎(きのさき)で降りた。温泉で有名な街だが、アサ哲の頭の中にはむしろ志賀直哉氏の小品「城崎にて」があったかもし...
竹書房の対局室に居た私にかかってきたアサ哲の電話は自宅からのものではなく、鳥取からのものだった。こんなことは初めてだったので一瞬受...
いわゆるアサ哲番のような編集者・関係者たちがなんとなくその場で輪が出来た時など、中心に居るアサ哲としては夫人が不在ということも多々あ...
昭和45年(1970)に麻雀新撰組が結成され、このわずか3年後にアサ哲の隊長降板が発表されたので、新撰組としての活動はこの期間に限ら...
荻窪時代、アサ哲からは度々電話がかかってきた。その声はハナから笑いをかみ殺したようなところがあって、そのパターンはいつも決まっていた...
太平洋戦争は昭和20年(1945)に終結したが、やれやれと思った人たちの生活が元のようなものに戻ったわけではない。ないものだらけの情...
アサ哲には調度品にこだわるようなところはまったくなかった。だからあのピカピカのおでん鍋は到来物のひとつであった可能性の方が高いことに...
アサ哲に「東京へ出て来ないか」と言われたのは昭和45年のことだが、仕事も徐々に増え、その多くは現場取材の立ち合いだったりしたので、ほ...
小島氏と私が新撰組に参加したあとのことを、アサ哲は「小説阿佐田哲也」の中で次のように書いている。『彼等二人の自立を確保するためもあ...
アサ哲は本人の個人的な事情から麻雀新撰組なるものを思いつき、「あきれた・ぼういずのマージャン版みたいなことをやりたい」と言って、小島...