アサ哲の荻窪時代
アサ哲に「東京へ出て来ないか」と言われたのは昭和45年のことだが、仕事も徐々に増え、その多くは現場取材の立ち合いだったりしたので、ほ...
アサ哲に「東京へ出て来ないか」と言われたのは昭和45年のことだが、仕事も徐々に増え、その多くは現場取材の立ち合いだったりしたので、ほ...
小島氏と私が新撰組に参加したあとのことを、アサ哲は「小説阿佐田哲也」の中で次のように書いている。『彼等二人の自立を確保するためもあ...
アサ哲は本人の個人的な事情から麻雀新撰組なるものを思いつき、「あきれた・ぼういずのマージャン版みたいなことをやりたい」と言って、小島...
「日刊近代麻雀」は関連年表などでは昭和47年の創刊となっているが、もう少し細かくいうと、この年の12月に創刊号でもある新年号が刊行さ...
来年金沢で開催されるねんりんピック(正式名称:全国福祉祭、60歳以上の国体のようなイベントで頭脳スポーツが含まれる)では、健康マージ...
鈴木達也プロが3度目の雀王に輝いた。最終戦開始時に124P差があり楽勝かとも思われたのだが、2番手の小倉プロが猛追、東3局の親番で...
新撰組の結成当時、私は隊長のアサ哲から小島氏や私に対し、なんらかの指示が出るものと思っていた。もっと正確に言えば、勝手にそのように思...
「小説阿佐田哲也」の中に、新撰組結成に関し、こんな記述がある。『けれどもこのことに関しては、奴一人の気持だったので小島武夫と古川...
「麻雀新撰組」立ち上げに関する発案者・アサ哲に対する三つめの疑問は、「この三人だけでいいんじゃないのか」発言。これはエッセイなどにも...
さる10月31日、第15次日本健康麻将協会訪中団は羽田から飛び立った。今回の目的地は北京・中国棋院。そこで小島武夫団長以下、日本側...