<ノーテン罰符>について、前々から思っていたことですが、この名称をまず替えたほうがいいのではないでしょうか。
<引っかけリーチ>を<筋待ちリーチ>としたほうがいいように、<ノーテン罰符>という響きは、さもテンパイしていない者が罰金を払わされるイメージがあり、<テンパイ料>とかに替えませんか?
<ノーテン罰符>のやりとりで順位変動していくルールは、麻雀競技としていかがなものかとも思っています。
だからと言って、<ノーテン罰符>無しで競技しようとなると、中盤から終盤にかけてのゲーム性が損なわれかねず、配信が主流となっている時代背景を考えると、スリリングな映像が減ってしまう可能性があります。
観ていて面白くない、マニアにしか評価されない、ギリギリまで戦う姿が見たい、等々<ノーテン罰符>無しルールへの弊害はけっこうありそうです。
私自身は、<ノーテン罰符>無しルールでも、打ち手のレベルが高ければ、その競技性が失われることはないと確信していますが、動画の時代にはマッチしていないような気がしています。
そこで<ノーテン罰符>、いいえ<テンパイ料>有りルールについて私の考えるところを書かせていただきます。
<テンパイ料>はゲーム終了後のボーナスポイントで
ノーテンの者がテンパイしている者へ払う方式は改めたほうがいいと思います。
慣れ親しんだルールゆえ、そのメリットを声高に訴える方たちが多数派であることは承知のうえで、やはり<テンパイ料>で順位変動を招くルールは競技性に欠けると言わざるを得ません。
なぜならば、和了(ホーラ)と放銃のみが勝敗に直結するルールであるべきと考えるからです。
和了に至らない<テンパイ>を評価したいならば、それは勝敗に直結しない形で成績に反映させるべきだと思います。
つまり、<テンパイ料>は競技者同士の点数のやりとりとせず、ゲーム終了時の成績に加算するルールのほうが競技性が高まるのではないかという提案です。
たとえば、<テンパイ料>を2Pと定めると、半荘に3回流局テンパイを果たしたならば、成績集計に6P加算するルールです。
私は、相手の和了牌を止めて自分のテンパイを崩すのも技術だと思っています。
もっと言えば、高打点になりそうな相手にチー・ポンさせないのも技術と言えるでしょう。
にもかかわらず、その技術を評価する仕組みが無く(評価点などあればよいのですが)、結果ノーテンに終わると点数を相手に払わなければならないルールは、本当に競技的なのか? 疑問符をつけざるを得ないのです。
<テンパイ料>のやりとり以外にも和了と放銃以外の点数が動いてしまう悪習が2つあります。
それは、積み場と供託リーチ料です。
<テンパイ料>を加算ポイントに変更する際には、こちらも改正すべきです。
積み場は無し、リーチ料は流局した場合、卓外に供出する。この改正だけで、和了と放銃以外に点数が変動することが無くなり、麻雀競技本来の姿に戻るきっかけになります。
競技・競技と唱えながらも、ルールが競技に追いついてこない現状を憂いて、このコラムを担当させていただいているわけですが、<テンパイ料>ひとつ取り上げても、従来の慣習にしたがっているうちは、競技とは言い切れない歪みを感じている次第です。
オーラスを迎えて、
東家 △13000
南家 + 6500
西家 + 5500
北家 + 1000
という状況で、9巡目に北家からリーチがかかりました。
ドラ
北家の河(捨牌)
12巡目南家にテンパイが入りました。
ドラ
を切れば北家の現物待ちでテンパイです。
ところが南家はロン牌になっているを切らずをトイツ落し。いわゆるテンパイとらず策を選択したのです。
を切ると自動的に3着落ちというピンチを凌いだ南家でしたが、もも引けず喰えずのまま流局してしまいました。
親と南家がノーテン、西家が形式テンパイ、北家がテンパイで終局。
この結果<テンパイ料>で南家が2着にダウンし、西家トップでゲームセットとなりましたが、ピタリとロン牌を止めた南家は何も報われないまま終わってしまいました。
<テンパイ料>の授受で順位が変動することに今まで懸念を抱かなかった方も多いと思われますが、和了も放銃も無いオーラスで、順位だけが入れ替わることの違和感を解消するルールにしたほうがよいのではないでしょうか。
もちろん、<テンパイ料>を貰うのも技術だと主張する向きもあることは承知していますが、逆に決定的な放銃を避ける技術への評価があってもよいのではないでしょうか。
麻雀競技は、和了と放銃以外、点数移動は無しという極めてシンプルな理念の下、<テンパイ料>は別カウントにするという提案をここにしておきます。
<テンパイ料>はあくまで技術点として加算していくというルールで競技をすれば、見ている側にもより分かりやすく伝わるのかなと考えている次第です。