先日、日本プロ麻雀協会のプロ試験(第22期前期)がありました。
筆記試験は担当する問題作成者によって傾向が変わります。そのため今回の試験では出なかったのですが、一時期、必ずといっていいほど出題されていたのが、
「リーチをかけた後、カンできるものには〇、できないものには✕を付けよ」というもの。
A ツモ アンカン
B ツモ アンカン
Aはそもそもツモった牌とはちがう牌をカンしようとしてます。リーチ後に可能なアンカンの定義として「ツモった牌で、マチとメンツ構成が変わらないもの」というのがあります。
(協会競技規定は「リーチ後の暗槓は独立した暗刻と同一の牌を模した場合のみ可能である」となっている)
これに抵触していますね。
こういったものを「送りカン」といいます。シュンツを1目送り込むということでしょうか。この送りカン、おそらく全国どこでもリーチ後はできないと思います。
Bはマチで、マチも牌姿も変わらないように見えますが、やはりできません。カンマチがなくなるからです。
これを説明する際によく用いられるのが、
「これででアガったらカンマチの三色に取るだろう。ソウズはこれと同じ形なんだから、カンマチを消すのカンはできないんだよ」
というもの。
おそらく、この形、昔はできていたというか、見過ごされていたんじゃないかと思います。
それなのに、あるときをカンすると形上はあるカンマチを消すことに気付いた人が「そのカンはチョンボだ!」と騒ぎだしたんじゃないでしょうか?
正直言って、の形が待ち3メンチャンであると、やっと認識できる初心者レベルの人がこのBの形でをカンしてチョンボを取られるのは可哀そうな気がします。
暗槓は「暗」の例外
土田浩翔さんは、アンカンは開示する必要がないと考えているそうです。
麻雀で「暗」や「明」の文字が付く単語がいくつかありますが、「暗」は見えない、つまり手の内にあることを意味します。
「明」は晒していることを意味します。
暗槓(アンカン)、明槓(ミンカン)はよく耳にすると思います。暗刻(アンコ)も。
明刻(ミンコ)という言い方はあまり聞かないかも知れませんが、ようはポンした牌のことです。
同様にチーした順子(シュンツ)が明順子、手の中にあるのが暗順子です。
「暗刻は(暗順子も)見せないのに、なぜ暗槓は見せなければならないのか」
ということですね。
こうした疑問は土田さんだけでなく、国際レベルらしい。というか、国際公式ルールでの暗槓は、「カン」と言ってカン材4枚を伏せたまま進行します。当人がアガったときはもちろん、他家がアガったり流局したときも4枚を開示して正しいカンであったことを証明します。
こちらのほうが「暗」に整合性がありますね。
一方、暗槓といいながら、対局者に開示するという日本式のやり方は「暗」の文字に整合性がなく、世界的に見ると、これは例外的なのではないでしょうか?
なぜ日本ルールはこうなったかいうと、不正防止のためでしょう。とくに日本ルールではカンドラなんかも増えますしね。
しかし、立会人がいる公式戦ならば、国際公式ルールのように「カン」と言って、立会人のチェックをもらえばいいと思います。参加者の多い大会では難しいでしょうが、アンカンなんてそうそうあるわけではないし、「カンします!」と手を上げて立会人か会場係を呼べばいいのではないかと思います。
しかし、それ以上に合理的に、円滑に進められる方法があります。
カンを麻雀のルールからなくせばいいのです!
ちょっと考えてみてもらえばいいのですが、麻雀は七対子と国士無双を別にすれば4面子1雀頭がアガリの基本形ですよね。この4面子1雀頭を作るのに、カンって必要ですか?
カンがなくてもアガれますよね。カンはコーツの補助的な役割でしかありません。
「4枚目持って来てカンできずに振り込んだらアツイ」――気持ちはわかりますが、ラス牌で振り込むなど日常茶飯事じゃないですか。自分の手に3枚あるか、まわりに3枚使われているかのちがいだけです。
さらに、初心者の嫌がる70符以上がなくなるし、最初に書いたような、リーチ後にカンできるかどうかを問題にしなくていい。
チャンカンで一発が消えるかどうかを揉めなくて済みますし、カンドラはアンカンは即ノリ、ミンカンは後(打牌後)ノリだとか、なんとか……カンが絡んだトラブルがいっさい解消されます。
すでに麻雀をやられている方々には、「カンはナシ」と言われても、非常に違和感のあることと思います。しかし、これから麻雀を覚える初心者には、カンナシのほうが、ルールがシンプルになって覚えやすいと思うのです。