ハシゴ喰いの猛者
いわゆるアサ哲番のような編集者・関係者たちがなんとなくその場で輪が出来た時など、中心に居るアサ哲としては夫人が不在ということも多々あ...
いわゆるアサ哲番のような編集者・関係者たちがなんとなくその場で輪が出来た時など、中心に居るアサ哲としては夫人が不在ということも多々あ...
昭和45年(1970)に麻雀新撰組が結成され、このわずか3年後にアサ哲の隊長降板が発表されたので、新撰組としての活動はこの期間に限ら...
2月21日に決勝が行われ、日本プロ麻雀協会の土井泰昭プロが第8期に続き2度目の栄冠を勝ち取った。土井プロはトータル3番手で迎えた5...
荻窪時代、アサ哲からは度々電話がかかってきた。その声はハナから笑いをかみ殺したようなところがあって、そのパターンはいつも決まっていた...
太平洋戦争は昭和20年(1945)に終結したが、やれやれと思った人たちの生活が元のようなものに戻ったわけではない。ないものだらけの情...
アサ哲には調度品にこだわるようなところはまったくなかった。だからあのピカピカのおでん鍋は到来物のひとつであった可能性の方が高いことに...
アサ哲に「東京へ出て来ないか」と言われたのは昭和45年のことだが、仕事も徐々に増え、その多くは現場取材の立ち合いだったりしたので、ほ...
小島氏と私が新撰組に参加したあとのことを、アサ哲は「小説阿佐田哲也」の中で次のように書いている。『彼等二人の自立を確保するためもあ...
アサ哲は本人の個人的な事情から麻雀新撰組なるものを思いつき、「あきれた・ぼういずのマージャン版みたいなことをやりたい」と言って、小島...
「日刊近代麻雀」は関連年表などでは昭和47年の創刊となっているが、もう少し細かくいうと、この年の12月に創刊号でもある新年号が刊行さ...